食欲の秋は供養の秋。お供え物に込められる深イイ話

好きな食べ物は梨!
皆様こんにちは 神奈川県相模原市の葬儀社・神奈川福祉葬祭(葬儀のかなふく)の鈴木隆です。
食欲の秋。あなたが好きな秋の味覚は何ですか?
ぼくは梨が大好きです。秋になると毎日のように食べたくなる、そんな果物です
今日は「食欲の秋」にちなんで、食べ物と供養についてのお話をしたいと思います。
■かなふく鈴木は梨が大好き!
ぼくは子どものころから梨が大好きでした
「好きな食べ物は何?」と聞かれたら、迷わず「梨!」と答えるくらい。
よく「好きすぎて食べすぎたものは、だんだん飽きて食べられなくなる」なんて言われますが、ぼくの場合、梨に関してはその心配がありません。何年経っても、どれだけ食べても、梨はやっぱりおいしいんです
甘くてみずみずしい食感。のどの奥にすっと広がる爽やかさ。体が弱かった子どものころ、季節の変わり目になると風邪をひきがちでしたが、母が剝いてくれる梨を食べると、不思議と元気をもらえる気がしました。
単純に梨そのものがおいしいというだけでなく、「母が剝いてくれた」というエピソードが梨の味に重なっているんですね。食べるたびに母のやさしさを思い出す。梨は、ぼくにとってただの果物ではなく、思い出そのものなんです。

■食べ物には物語がある
心理学的にいうと、味覚の記憶はとても強く残ります。
ある食べ物を口にしたときに、その味と一緒に「誰と食べたか」「どんな気持ちで食べたか」まで思い出せる。
ぼく自身の「梨=母のやさしさ」の記憶がそうですし、友人もこんな話をしていました。
「会社でうまくいかなくて落ち込んで帰ったら、娘がキウイを剝いてくれた。それがもう、涙が出るほどおいしかった」
おいしさは、単なる味覚の問題じゃないんです。そこに「誰かの想い」が乗っかるからこそ、いい記憶として残るんですよね
■お供え物は物語の宝庫
そう考えると、「お供え物」って、まさに物語の宝庫だと思いませんか?
スーパーで買い物をしているときに、ふとこう思うんです。
「お父さんといえば、やっぱりビールだよな」
「お母さんは、甘いもの好きだったから和菓子をお供えしてあげよう」
このように、食べ物を眺めながら故人さまに思いを馳せる時点で、もう供養は始まっています。お供え物を選ぶという行為そのものが、すでに故人を思い出す時間なんです。
そして、実際にお供えをして手を合わせると、生前に一緒に食べたあの味やあの時間が、記憶の中から立ち上がってきます。食べ物を通じて、故人と今のぼくたちがつながり直す。これこそが供養の大切な意味なんじゃないでしょうか。

■お供え物が持つ2つの深イイ意味
お供え物には、2つの深イイ意味があると感じています。「共食(きょうしょく)」と、「おすそわけ」です
〇「共食」みんなで食べるから仲良くなれる
昔から「共食」という考え方があります。みんなで同じものを食べることで、心がひとつになる。神仏へのお供え物をお下がりとして分け合えば、そこにいる人みんなが神仏の恵みをいただけると考えられてきました。
葬儀や法事のあとに食事をともにするのも同じこと。亡き人を中心に集まり、同じ食卓を囲むことで、遺された者同士の絆が深まっていくのです。
仏壇におまんじゅうを供え、手を合わせたあとで家族が一緒にいただく。その一口は「故人と同じものを食べている」という行為でもあります。姿は見えなくても、その場に一緒にいる──そう感じられるからこそ、お供え物のお下がりは尊いのです。
〇「おすそわけ」は分かち合いの精神
そしてもうひとつが「おすそわけ」。
「この梨、ぜーんぶ独り占め!」ってぼくが言ったりすると、だれだってイヤな想いをしますよね。
目の前にある食べ物をほんの少しでもお供えをすることで、分かち合いの心が生まれます。おすそわけの精神は、日本の暮らしにずっと息づいてきた文化でもありますよね。
お供え物には、故人への想いを分かち合い、みんなの心をつなぐ力がある。だからこそ、食欲の秋には、おいしいものを供え、そして一緒に味わってみてほしいのです。

■おわりに:食欲の秋は、供養の秋
食べ物には思い出が宿ります。そしてその思い出は、故人とぼくたちをつなぐ橋になります。
秋は「食欲の秋」。旬のものが豊富に出回る季節です。
ぜひ、故人の好きだったものを思い出しながら、おいしいお供えをしてあげてください。
それは故人のためであると同時に、ぼくたち自身の心を癒し、満たす行為にもなります。
ぼくはこの秋も、梨を仏壇にお供えして、一緒に食べたいと思います。
母が剝いてくれた梨の記憶とともに、あのやさしさをもう一度味わいたいから。
どうかみなさんも、食欲の秋を、供養の秋にしてみてくださいね。
神奈川福祉葬祭(葬儀のかなふく)
代表取締役 鈴木 隆
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